2013年7月8日月曜日

私の夏 Part1

夏の甲子園をかけた予選が各地で始まりました。
熱い夏の到来とともに本当に連日気温も上昇、選手たちも大変でしょう。頑張って下さい。

思い起こせば今から35年前に私も初めての夏の予選を経験しました。
私が高校入学前の春の大会では我が母校は、先輩の頑張りもあり、九州大会に出場するようなチームでした。勿論、それなりに強かったのだと思います。
入学した当時は、2,3年生を見て、年齢の差による体格の違いに驚きを覚えたのも事実でした。
入学直後、中学3年では投手をしていたこともあり、監督に「ブルペンで投げてみろ」と言われ、2,3年生の見守る中、投球の機会を得ました。当時、中学時代から球の速さだけは群を抜いていたので、上級生の反応もそれなりの反応でした。
投球後、監督から「手を見せてみろ」と言われ、素直に従うと余りの小ささにあっさり「今日から3塁に入れ」と言われ、その日から私の3塁での戦いが始まりました。
今でこそ、1年生が試合に出場するのは通例となっていますが、当時で1年生がシートノックに入ることなど、よほど部員数が少なくない限り、あり得ないという時代でした。
1年間の球拾いは、ある程度覚悟していましたが、まさかこのように簡単に背番号を貰えることになるなど想定外でした。
入学してから2週間も経過しないうちに福岡遠征にも帯同。
そのときから試合に出始め、1ヶ月後には、ほぼ3塁のポジションを手中に収め、2番を任されることに。
勿論、その前にレギュラーであった2,3年生にとっては、生意気な1年坊主という印象しか持たれなかったでしょう。
事実、相当生意気であったと後から言われましたから・・・。

この生意気な1年坊主が臆することなく、プレーをするものですから他の上級生も負けておられぬと文字通り「切磋琢磨」(これは校風でもあります)していたように思います。
私が、100本ノックを受けると先輩が150本といつも競いあっていたように思います。
おそらく「いつかこのくそ生意気な餓鬼を懲らしめてやろう」と思っていたのでしょう。
後から監督から聞きましたが、私の起用は、この相乗効果を狙っていたと話されていました。

いよいよ夏の予選がスタート。
若干15歳。2,3年生の上級生に混じって甲子園というプレッシャーなど微塵も感じないまま試合をしていました。
「甲子園に行きたい」という想いは強かったですが、どのような戦いが待つのかの経験もなく、ただひたすら一生懸命に自分の力を発揮することに執着していたように感じます。
1戦1戦を勝ち抜くたびに甲子園が近づいてくるのですが、当人は、それ程実感もなく、大勢の人の前でプレーをする喜びに酔っていたように感じます。
準決勝、決勝は全校応援でした。
我が母校は、県内屈指の進学校でもあり、受験勉強に力を入れているにも拘らず、二日も全校応援とした校長の判断は凄いことだったのではないでしょうか。
スタンドの生徒とベンチが一体感を持ちながらのこの2試合は、世界大会や大きな大会に参加させて戴きましたが、野球人生の中でも一番の興奮を覚えた時間でした。

準決勝は、9回2死まで2点負けている中、そこから同点に追いつき、延長で下しました。この試合は、今でも忘れられない試合の一つです。
同点に追いつた要因も遊撃手が捕球して、2塁にトスしてゲームセットと思った瞬間のイレギュラーヒットによるものでしたから、ボルテージは上がるのは必然。
スタンド、ベンチとも試合も終っていないのに既に泣いていました・・・。
勝つには、運も必要なんだということを痛感しましたね。

決勝では、この苦しさから開放されたか、好投手と前評判が高い投手を攻略して一方的な強さで甲子園を決めました。
ウイニングボールも遊撃手のボールであったにも拘らず、私が横取りしました。
マウンドに集まって喜ぶ姿を見て、2,3年生の甲子園への想いというのがこれほどまでかと初めて気がついた瞬間でもありました。
スタンドも暑さなど気にすることなく、歓喜の渦でした。
正に学校が一つになった瞬間でしょう。

強豪高校ではない、普通の県立学校でも勝てるという実例を作れた喜びは、私がこの学校を選んだ志望動機でもあり、本当に嬉しい想いでした。

練習時間が短く、ほぼ内野しか使えない校庭での練習。バッティング練習、全員を守備につけての練習などは、土日しか出来ませんでした。
強くなる環境では決してなかったですが、考える力、創意工夫する力は間違いなくつきました。
これぞ、高校野球と今でも私は思っています。

上手くなるために、強くなるために「環境が~」など今でも嘆くことはありません。
これは高校時代に教えられた賜物と感謝しています。

私の夏というタイトルで新聞報道にて過去の選手を取り上げておられますが、私は、毎年夏になるとこのことをふと思い出しまし、原点回帰する瞬間でもあります。

自叙伝を記載するつもりは毛頭ありません。
今を生きる選手、指導者の皆様の参考になればという気持ちで記載をしています。
自分のことを記載することこそ、恥ずかしいものはありませんので・・・。

次回は、私の夏 Part2で、この歓喜から試練を迎えることになるあたりを記載します。



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