2013年2月1日金曜日

名選手、名監督にあらず

大阪の高校バスケット部、愛知の高校陸上部の問題に続き、今度は全日本柔道女子の問題が浮上しました。テレビ報道などあらゆるメディアで取り上げられ、スポーツ界に対する不信感を募らせています。
昨日、文部科学省がJOC会長を呼びつけ、JOC傘下のスポーツ競技において同様の問題がくすぶっていないのか調査を要請しているようですが、文部科学省がスポーツの国民に与える影響をきっちっと把握しているのか甚だ疑問であります。
モラルを教え、社会ルールを教え、敵対する相手と戦う場を公式の場として提供できるのはスポーツしかありません。ルールが無ければボクシングはただの殴り合いでしかなく、だれもスポーツと呼ばないのを考えてみてもらえれば一目瞭然であります。
早稲田大ラグビーの師である大西先生が「戦争」と「スポーツ」を比較しながら執筆された書を読んだことがありますが、正しくこのようなスポーツの社会における重要性が書かれていました。
これだけ社会問題になるほど人間教育に欠かせないスポーツをなぜ国は、もっと大切にしないのか良くわかりません。学校課外クラブでは、先生の数が減少し、且つ、クラブ種目数の増加によって専門性のない学校の先生で賄うケースが多くなっていることを知っているのでしょうか?
競技経験のない先生がクラブ顧問となった場合の子供の成長は、考えるだけでもわかります。勿論、勉強しながら指導を行っている立派な先生もいますが、殆どが学校行事に追われ、クラブ顧問の活動は、思うようにできていないという現状にあるように思います。
東京都の文京区だったと思いますが、保護者が部費を積み上げ、先生以外の外部指導者と指導契約をし、課外体育クラブの指導を開始という新聞記事を見ました。今後は、この形態が増加するのではと考えています。
高校野球の指導者にプロ選手が容易になれる時代が来ましたが、優秀なスポーツ選手が競技を終えた後、まだまだセカンドキャリアに繋がる機会がなく、非常に困っているということを聞きます。JOCがNPO法人オリンピアズを立ち上げたのも、セカンドキャリアの斡旋が目的であるということも聞きました。
このような人材を学校現場に送り返せばいいと思います。
簡単な話で、スポーツで飯が食えるようにしてあげればいいのです。
アマチュアの世界では、ボランティア指導というのが当たり前のように思われていますが、ボランティアだから長続きしないのです。
選手、保護者、周囲から色々言われてまでなぜボランティアをしなければ行けないのか?と思う瞬間がどの指導者でもあるのではないでしょうか。
必要な対価は支払うべきですし、頂いたほうもその対価に見合った指導ができるようにならなければなりません。
話は変わりますが、オリンピック選手とその選考合宿に選ばれた選手の差は、それ程あるわけではなく、ほぼ同等であると思います。これは、私がバルセロナオリンピックに出場させてもらったときの経験からもそう思うからです。これぐらいのレベルになると技術なんて紙一重でそのときの状況による運のような要素が強いものです。
したがって、金メダルを取った選手だから良い指導者で、オリンピック経験がないから金メダル指導者に劣るということは絶対にありません。指導と競技実績とは、関係がないことはありませんがイコールではないと思います。
昔からプロ野球界では、「名選手、名監督にあらず」と良く言われていますが、結局は、指導者になってからどれだけ勉強したのかという点につきると思います。
私も一応、全日本を率いるにあたっては、野球技術以外のコーチング論、トレーニング学、栄養学、物理、数学、語学など必要とあるものは、それなりに勉強をしてきたつもりです。
プロ野球界で名選手が名監督になれないのは、選手から直ぐに監督になるからであって、メジャーのようにどんな優秀選手でもマイナーリーグ指導者からの積み上げのようなシステムになれば、そのような格言は生まれないと思います。
指導は、どうしても経験が必要です。若くして、好成績を出した指導者でもたまたま選手に恵まれたという偶然的な要素で成績が残せたケースが多く、常時、力を発揮するようなチーム作りができるようになるには、それなりの指導の積み重ねが必要になってきます。
マスコミは、これ見よがしに今回のように叩きますが、実際指導の現場はそれ程甘くなく、全員を同じように伸ばすことなんて不可能です。
したがって、指導の現場は、不平不満の塊の組織体となります。
如何にして、不満を解消し、全員を同じ方向に向かわせるかということが指導者の腕の見せどころです。
今回の柔道で起きた事象は、この方向性を正しくするため方法として、暴力による権力の誇示という間違った手段がとられたということになります。
「手段は選ばすなんでも勝てば良い」ということは、スポーツの根幹を揺るがすものであり、フェアプレーの精神に反するものであることは間違いありません。
因みに大リーグの名選手に名監督がなぜいないのかというと名選手は選手時代に多額のお金をゲットしていて、わざわざ安月給のマイナー指導者で苦労する必要もなく、また名選手の名誉まで汚したくないというのが本音で、指導者になる人がいないのです。
また、日本は時代が過ぎると名選手のことすら忘れてしまいますが、メジャーでは名選手を非常に大事にするため、いつまでも忘れられないという環境があり、居心地がいいのです。球場のイベントなどがあるときに紹介する光景を見られたこともあるでしょう。
そう意味では、日本のプロ(NPB)が野球を国技として育て、歴史を継承しようという姿勢は今のところ感じません。往年の名プレーヤーを敬うようなことが子供に高齢者をいたわる気持ちを醸成したりすることに繋がることに気づいて欲しいものです。
スポーツは人間力を身につけるには、最適であり、本当に素晴らしいものです。日本からスポーツが無くなったら悲惨なことになります。
それだけにスポーツ界は今回を機に全てが生まれ変わるつもりで、対応する必要があると思います。競技に携わっているものとして自分ごとに捉え、今後の活動に従事していきたいと思います。