2013年6月17日月曜日

探究心

本当に便利な時代になったものです。
インターネットで検索すると殆どの情報が手に入ります。
20年前がついこの間という表現が正しいかは、いささか不明でありますが、私が社会人の監督をやり始めたついこの前は、アメリカの情報などは、輸入の本とかVideoを入手して知り得ていました。大リーグチームが日本に来ると聞くとカレンダー見ながら非常にその放送を楽しみにしたものです。今の選手に言ってもピンとこないでしょうが・・・。
アメフトドキュメンタリー番組をビデオで見て、面白いトレーニングだと思い、そのトレーニングを指導していたランディースマイス社に英文レターで問合せをし、ラダートレーニングの現物を入手したという私の経験のように今でこそ注目されていますが、トレーニングの普及はされていませんでした。日本にラダートレーニングを持ち込んだのは、もしかしたら私かもしれません。
メンタルトレーニングにおいては、バルセロナオリンピックが開催されるときに、当時、ドジャースで活躍していた野茂選手がオリンピックチームのためにとアメリカにおいて著名なメンタル本を原文のまま紹介してくれたのが野球界における走りと記憶しています。
昔の情報がアナログであり、どれだけ情報に飢えていたかご理解いただけたのではないでしょうか。

先日、暇な時間を利用してYouTubeを眺めていた際に「キャッチボール指導」と検索したところ、広岡さん(元西武監督)が指導している映像が沢山アップされていました。
私の野球感を今までとは全く違ったものに変えてくれたバルセロナ代表合宿時に広岡さんの指導を受けるという正しく一期一会の機を得ましたが、その際に、広岡さんに対して「キャッチボールの基本を教えてください」と馬鹿みたいな質問をしたことを思い出しました。当時は、本当に投げることについて探求していましたから。
映像を見ていたら、当時の指導と同じような内容でありましたが、改めてキャッチボール指導の難しさを今更ながら思い返しました。
冒頭でも記載をしましたが、本当に便利な環境になったものです。ご本人と会わずしても指導の内容がわかり、しかも映像まで見れるわけですから・・・。
アメリカにおける指導もしかりです。
アメリカに渡らずともアメリカで行われている指導を知ることができるなんて、あまりにも凄すぎます。超一流のプレーヤーのプレーもスロー再生などで見ることができるというのは今の人たちは幸せです。

技術の上達は、探究心にあると思います。
「もっと上手くなりたい」という向上心とでも言い換えられるのでしょうか。
この探究心が少し希薄になっているように思います。
平たく言えば、「野球はコーチが教えてくれるもの」と思っている選手が多くなっているような気がします。
一流のプレー、一流の指導者の指導ぶりを見て、選手、コーチは自分なりに評価して、自分の技術のヒントにしていくことこそが非常に重要です。
私の現役時代は、高校野球、大学野球、プロ野球の試合を食い入るように見て、「私だったらどうする」「このプレーは、明日やってみよう」などと思ったものです。
昨今のスポーツのとりまく環境、例えば「公園でキャッチボールができなくっている」「また皆で集まって学校終わって野球をしようなんてことは皆無」の状況においては、上達のコツは、野球クラブや学校体育活動を通じて学ぶ時代となってしまいました。
もっと広義では、独学で勉強する習慣は消え、塾が独学の時間となってしまっています。
他人の力に頼る癖がついた人に本当の意味での探求心はつかないと思います。
したがって、選手を預かる側は、この探究心の醸成を課題として、「教えること」と「教えすぎ」という二つの観念を頭に入れて指導にあたる必要があります。
百聞は一見にしかずと良く言われますが、自分の目で見て、自分のものにしていくことを体感することこそが今からの時代には大切な気がします。
今の時代は、前段のとおり、非常に簡単にその機会を得ることができるようになっています。その情報の使い様によっては、非常に重要な指導教本となります。
情報をいかに使うかがキーワードということですかね。

社会人監督時代に期待をしていた選手に打撃指導と称してケングリフィー・ジュニア(元大リーグ選手)のバッティングフォームの入ったビデオテープを渡し、一日100回見て、その技術を真似するようにと指導したことを思い出します。
おそらく100回も見てはいないと思いますが、少しは自分なりに研究してきたのではないでしょうか・・・。その後、チームの4番を長く、務めましたから・・・。



2013年6月6日木曜日

2013都市対抗予選 〜采配

各地で都市対抗の2次予選が開催されています。
全日本候補選手の視察のため、東京予選に出向きました。
予選の緊張感は見るものにもひしひしと伝わってきます。
選手はそれ以上のプレッシャーでしょうが・・・。

選手視察が目的ではありますが、職業柄どうしてもベンチワークに目が行ってしまいます。
一言で表すと采配ですかね。

都市対抗のように毎年同じチーム同士の対戦になると采配が単にその一試合だけのものではなくなってきます。
何を言っているのか理解に苦しむかもしれませんが、簡単に説明すると昨年の同一カードの試合や一年間やってきた中での一試合の采配であるという理解でお願いします。
例えば、前年度に予選敗退をしたチームでは、どうしても慎重な試合運びを選択しがちです。
大量リードでほぼ試合が決定的であるにも関わらず、ベンチが不安を持っているため好投している投手を交代させることができない、またはその逆で早めの継投で後半投手がいなくなるなど意思決定のプロセスに色々な不安や葛藤が入り込みます。
明日以降の戦いを想定すると一人の投手では勝ち上がるのはむりであるから、全ての投手を信用するしかないのに。

アマチュアの野球は、プロと違い、個人の記録や評価はあまり重要ではありません。
勿論、優秀な成績が個人のレベルアップに繋がり、更にチームを牽引し、最終的にチームの勝利を導くことは分かった上で話をしていますが。
総力戦で勝つというテーマこそがアマチュアの野球そのものです。
特に一発勝負のトーナメント方式では、過去の成績などは何の意味も持ちません。
重要なのは、この大会を如何にして勝ち抜くかということです。

一方、都市対抗のような試合では、データは非常に重要なウエイト占めてきます。
が、かと言って、あくまで統計であって信用をし過ぎるのはいかがと考えます。
東京予選を見ていて余りにも情報戦のような試合ぶりが見受けられ、もう少し選手の考えでやらせてみてはと思った次第です。

このように『采配がな』と1試合だけをみて評価するのは余りにも軽視しており、少なくとも1年間の成果を必死に出そうとしている社会人チームに対しては言えないと改めて感じました。
采配を振るうにあたっての意思決定のプロセスにはこのように色々な想いが入っています。
後ろから見ていて、監督の心理が揺れているだろうなと感じとれました。

勝っているチームの采配は思い切りが良いように思えるのは、過去のトラウマを考えることなく、この大会に勝つという冷静な判断が
もたらしているように思えまえした。

選手もチームも生き物で、決して駒ではないことを再度認識した視察でした。

しかし、打者よ、もっとアピールしてくれ!