2016年3月30日水曜日

プロ野球開幕 〜 体質改善に期待

プロ野球が開幕しました。
開幕前のジャイアンツの野球賭博問題などは、既に古新聞となっているように感じます。
この問題の再発防止策をどうするのか、プロ野球としてのコンプライアンス指針をシーズン前に明確にして欲しかったですね。
賭博の問題、チーム内での声だしに関する金銭授受の問題ですが、はっきり言ってプロ野球界のモラルレベルの低さを露呈しましたね

現場の管理を誰が責任を持って行うのか?
アメリカで言うグランドマネージャーの責任なのか?
なぜ、初めて現場の指揮をとる高橋新監督が、球団を代表した形で謝罪会見を行う必要があるのか?
今一つ理解できませんでしたね。

プロ野球選手は、個々人がオーナーであり、そのオーナーを束ねるのは、あくまでフロントにあると思いますよ。
野球協約を守るのは、グランド内の監督方針やチームルール、サインを守るのとは訳が違う。
野球協約を遵守させる、ファンの期待を裏切らない道徳観念を植え付けるのは、球団の責任です。
一般企業におけるコンプライアンスは、年々厳格なものとなっています。
読売新聞でも同じでしょう。
一人社員のお陰で、会社が倒産する危機に至るなんてことは日常茶飯事です。
大企業には、コンプライアンス違反を犯した場合の誓約書にサインをさせられて業務に従事させる会社もあるわけです。
ましては、ファンあってのプロ野球です。
自覚の欠如と言われても仕方がありませんよね。

とは言え、プロ野球選手も人間ですから、過ちを犯すこともあるでしょう。
その過ちを犯さないように抑制するのは、球団フロントの役割、または球界を司る方々ではないでしょうか。
新人選手に向けた反社会的組織に対する教育講座を行っているとメディアを通じて、ファンにアピールするような報道を目にしますが、結局今回の野球賭博を行った選手は、20歳を超えたばかりの若い選手ばかりです。
「一体どんな教育をしているのですか」と言われても仕方がないと思います。
最低でも各球団で、一年に1、2回ぐらいは、全選手を対象とした野球協約遵守やモラル、マナー教育などを実施すべきでしょう。
実際やっているのかもしれませんが、結果的に教育を行っている側の真剣さが、選手の忠誠を勝ち取れていないわけですから何か要因があるのではないでしょうか。
はっきり言えば、プロ野球は国民に夢を与える商売であり、社会的にも大きな影響をもたらすというフロントの認識の甘さと選手の自覚の欠如であると思います。
フロントの殆どの方々が親会社からの転籍者や出向者で占められています。
本格的な野球経験のない方も沢山おられるでしょう。
そういった意味では、現場に出向いて行き、選手がどのような活動をしているのかもっともっと知る必要があるのではないでしょうかね。
一年に一回の年棒査定を行う個人面談だけで会話をするのではなく日常からコンプライアンス管理を行うという視点で対応すべきでしょう。

多くのアマチュアプレーヤーがプロ野球への憧れを持って日々努力をしています。
その選手等の期待をプロ野球界が裏切らないように今後して欲しいですね。

テレビ中継を見る限り、連日、選手は気持ちのこもった良いプレーをしているように思いますし、見応えのある試合も展開してくれています。
全力プレーとフェアプレーの精神だけは、どのような環境下でも人を感動させるものです。

今年のプロ野球界には、今まで以上に高い意識で取り組んで行って欲しいです。

2016年3月14日月曜日

元高校球児、58歳の新たな挑戦!



ブログアップが滞り、誠に申し訳ございません。

さて、今回は、我が母校、諫早(いさはや)高校野球部関連の最近のエピソードを紹介します。
非常にローカルの話で、且つ身内の話ですが、久々に感動を覚えた出来事であり、ブログに掲載しなければとの強い気持ちから本日アップします。

まず我が母校である諫早(いさはや)高校は、旧制諫早中学校と旧制諫早高等女学校を前身とした県立の進学高校です。
2011年(平成23年)には、創立100周年を迎え、最近(平成23年4月)では、付属中学校を開校し、中高一貫教育を開始しています。
学校内には、戦国武将の龍造寺家晴が築かせた庭園である御書院が保存されており、その歴史を感じさせます。
昔は、諫早(いさはや)の「諫」が「ねり」と呼ばれ、私が高校時代は、県外の試合に行くと「ねりはや高校」と呼ばれたこともありました。
校訓は「文武両道」が掲げられ、クラブ活動も盛んです。
最近では、諫早高校と言えば「駅伝」と言われるほどで、女子陸上部が特に有名で、21年連続 計22回 都大路を走っています。
女子駅伝部のお陰で、「いさはや」と読んで頂けるようになりましたが・・・。
昔は、「野球が強い学校ですね」とよく言われていた野球部ですが、春2回、夏2回と過去に甲子園に出場しておりますが、私達が出場した昭和54年の夏大会、昭和55年の春を最後に甲子園からは遠のいています。
後輩には是非、頑張って欲しいですね。

話を戻しますが、先日、関東在住で、諫早高校野球部OBでもあり、明治大学野球部でマネージャーとしても活躍された大先輩から「諫早高校野球部の先輩で素晴らしい方がいるので、地元報道で取り上げて頂けるようにならないか?」という内容の相談メールを頂きました。

頂いたメールの原文から抜粋したものを2通掲載。

(メール その1)
私たちの1つ上の諫早高校野球部の先輩で、大嶋昭生さん(58歳)という方がおられます。
56才から東京消防庁を退職して2年間予備校に通い、看護の仕事を目指そうと、受験勉強して、この春に京都学園大学、健康医療学部、看護学科に合格され、新たな目標に向かって動かれます。
大嶋さんは諫早高校を卒業後、すぐに東京消防庁に就職され、都内の消防署や救急隊に勤務され、救急救命士や防災管理者などの資格を持たれ、新たに看護の道を目指し、故郷長崎に貢献できればと前向きな考えをお持ちです。
中学時代はバレーボールをやられており、高校に入り、初めて硬式野球を始められました。
3年間、試合には出れませんでしたが、最後まで続けられ、その姿は我々も尊敬し、精神的な支えとなり、昭和50年の夏の甲子園初出場を陰で支えられた貢献者だと当時を知るものは思っております。
地元の新聞記者の方に、『元高校球児、58歳の新たな挑戦』として、新聞で取り上げてもらえませんか?
母校、諫早高校の後輩たちにも、勇気を与えることだと思います!

(別の先輩からの追いかけメール その2)
大嶋さんは、一度だけ公式戦のバッターボックスに立ちました。
3年の夏に(我々は2年時)野球部全員が3年間の努力に敬意を表し、「1打席でもバッターボックスに立たせてあげたい」と監督に掛け合い夏の大会の公式戦の一試合だけベンチ入りして、大勝した試合に代打に出ました。
ご本人は緊張の余りバットを振ることが出来ず、ただ仁王立ち。
しかし、その試合で「代打、大嶋くん」のアナウンスの瞬間スタンドも含めて一番歓声があがり、球場が一体となった場面を鮮明に覚えています。
NHK杯に優勝した後、優勝候補として夏の大会の第一シードになったにも関わらず、今一つ纏まりが無かったチームを大嶋さんの存在が一つにしたと思います。
そう言う意味では夏初出場の立役者の一人と思います。


私自身も、大島さんとは、OB会等を通じて面識はあります。
が、大先輩ということもあり、共通の話題を持ち合わせていないため、それ程、親しく会話したことはありません。
しかし、このように生涯後輩に慕われる先輩という素晴らしいエピソードは、正に高校野球であり、非常に感銘を受け、諫早高校野球部に在籍できたことを誇りに思います。
大島さんご自身が、後輩の手本となろうとの想いで人生をお過ごしになっているとは思いませんが、絶えず、後輩に大きな影響を与えられる生き方については、我々後に続く後輩にとっては、本当に素晴らしい手本であることに違いはありません。
「150kmの速いストレートを投げました」などのように野球技術の凄さだけが取り上げられますが、このようなチームスポーツの真髄のような出来事が高校野球にはあると思います。
まもなく、今年も選抜高校野球が始まります。
甲子園に出場したチームにも、出場できなかったチームにも、このような舞台裏があるはずです。
そのような想いを感じながら、試合を観戦したいと思います。

頑張れ、大島さん!

 (追伸)
多くの報道の方々、このブログを見て頂いていると聞き及んでいます。
素晴らしい話であると思いますので、取り上げて頂ければと思います