民放でのプロ野球の放映機会が減少しています。ま、野球は球場に足を運んで観るものという視点に立てば、別にどうでもいいのでしょううが・・・。
昔は父親の権威が強く、今で言うゴールデンタイムは、殆ど長嶋、王を半強制的に家族で見ていたものです。「長嶋が打った」とか、「王のホームランが凄かった」などある意味、コミュニティーの中での日常的な会話となっていました。そのような時代であれば、自然の流れで皆が野球を愛し、後継となる子供たちも野球をするようになります。
今の状況と大きく違いがあることは説明する必要もないでしょう。
私は今でも日本文化の道徳心を継承するには、スポーツしかないと信じています。ルールの範囲の中で、敵(相手)と向かい合って戦うという環境は、今の日本の中では作り得ないからです。諸外国は、兵役という制度の元に多くの忠誠心、愛国心を育くむ機会を強制的につくっています。決して、兵役制度が良いとは思いませんが、決定的な違いであることに間違いないでしょう。
話は、変わりますが、ダルビッシュの大リーグ挑戦がスタートしていますが、彼が渡米する前に「日本には、対戦を楽しみにした相手はいなくなった」みたいな内容のコメントをしたと記憶しています。
この真意は、おそらく日本プレーヤーに対戦したいと思う人がいないのではなく、野球そのものの在り方に疑問を持っていたのではないかと勝手に解釈しています。
投手という人種は、大方の人が1対1の勝負に生きがいを見出している人が多いようです。対戦相手を討ち取るために自分なりに戦略を立てていくわけです。が、どちらかというと日本のケースでは、チームの戦略が先にたって、個の勝負はその次ということが多いようです。
リスク回避を優先し、戦術的な、例えばボールゾーンを有効に使った配球などが好まれ、自分の持ち球で1球目から勝負みたいな風潮は、敬遠されるケースが多いです。
別に配球論を否定しているわけではないのですが、野球のルーツから考えると反しているのかなと最近考える次第。
BASEBALLも進化しているので、特に前に立ち帰れと苦言しているのではなく、ただ原点を理解して試合にのぞむことが大切かなと考えます。大リーグの捕手が1球目からボールソーンに構えることは敬遠の機会以外は滅多にありません。ご覧下さい。
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