2012年8月6日月曜日

過剰な指導について~続編

前号で過剰な指導についての記事を掲載しましたが、本日の毎日新聞朝刊の社会面に「型にはめる指導 体罰に」という記事が掲載されており、ちょっと視点が違うのではと思ったので続編としてコメントを書き込みます。
そもそもこの記事を書かれた方に質問したいのですが、「型にはめる」ということがどういうことなのかお分かりですかと?
おそらく「選手の自主性を尊重しろ!」という対比で使っているのかと思いますが・・・。
ジュニア期に必要なものは、先ずは基本技術の習得であり、おそらく中学、高校と僅か各々3年間(実質は2年半程度)の短い期間に、この基本技術を全部指導し、習得させることはかなり難しいと思います。
現に社会人の監督をした時代に多くの高校生、大学生を新入社員として預かってきましたが、殆どの選手が一から、つまりキャッチボールからやり直しという具合です。
この中学、高校の3年間では同じことの繰り返し(反復)による技術の習得を如何に選手をやる気にさせて実践させていくかがある意味指導者の役割であり、良い指導者ほど、繰り返しの大切さを知っております。
ちゃんとボールを投げられない選手に戦術を教えるのと同じで、ある程度のレベルに到達しないと応用的な動きはできないわけです。
イチローでも、松井でも高校時代は、ある意味指導者の発言が大きく影響されたような打撃をしていたはずです。結果的に自分のスタイルが確立したのは、プロに行ってからでしょう。要は、ある意味、型にはまった指導を受けなければ、自分のプレースタイルは生まれないと思います。はじめから自分のスタイルで成績を長期に継続している選手など皆無だと思います。
型の重要性は、どのスポーツでも同じであり、多くの指導者もそのように考えていると思います。
そういった意味では、今回の記事の見出し「型にはめる指導 体罰に」というフレーズはちょっと行き過ぎた表現ではと思います。
体罰などの過剰な指導を行う原因は、どちらかという指導者の人間性に起因することが多く、「この指導で間違いない」と思っている傲慢な考え方を正すような環境がないことに問題があると思います。「殴らないと指導者の本意が伝わらない、チームが締まらない」などのレベルの低いコーチングを行なっていることこそ大問題です。
勝つためには方法論を選ばないというような考え方、そのものが誤った考え方であり、もはやスポーツマンシップから逸脱している行為であります。
毎日、グランド整備などを選手と一緒に汗を流して行なう監督、指導者の姿に感銘を受けない選手はいません。「俺が監督だ」と伝家の宝刀を絶えず振りかざさないと選手がついてこないような指導は長続きしません。今回の事件もその一つです。
私は選手に話しをするときは、「本当に何を話せばいいのか」、「どう話せば理解してくれるか」を真剣に考えます。
私の体験からは、指導者が本気で選手と向き合っていれば、選手は必ずついてきてくれます。選手は将棋の駒ではない。よく例えられますが・・・。
誰が、金で、誰が飛車、角でなんてないのです。「全員が戦力である」と全日本合宿でも、それ以外でも話をしています。






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