先日、大分で春季キャンプを行なっているある大学の練習にお邪魔しました。
監督が大学の大先輩であること、またお手伝いされているコーチもまた大先輩であることが伺った理由の一つですが、このチームに私が代表を務める長崎文教シニアの選手が今年から2名お世話になることから「御世話になります」とのご挨拶を含めて参加したというのが実情です。
久々に大学の現場にお邪魔しましたが、「目が輝いていて素晴らしいな」と率直に思いました。自分の学生時代はこのような感じだったのかとふと当時を思い出し、改めて大学時代の所業を反省した次第です。
「最近の子は・・・」と年配の方がおっしゃいますが、中々どうして素直な良い子ばかりではありませんか!本当にそう思っています。
しかし、練習に参加して「無駄な練習をしたくない」、「反復練習の意味が分かっていない」のかなとも感じ取れました。
よく「知っている」ことと「できる」ことは違うといわれますが、正に「繰り返しの練習」に弱い、「コツコツ積み上げる」ことが嫌いというような風潮があるのかもしれません。
おそらく育ってきた環境に起因することが大きく、昔の人(適切な表現かはわかりませんが)には想像もできないぐらいの違いがあるのではないでしょうか?
この世代を相手に50歳半ばの監督が指導をされているのだから非常に大変なのだろうなというのは想像もつきますし、正にその通りでした。
大先輩は懇切丁寧に指導をされており、昔の「大学監督」というイメージからは似つかない姿でした。
「分からないこと」はまず指導をしてあげることからがスタート。指導者が一番手を抜きたがるところですが、丁寧に進めておられ、非常に勉強になりました。
現代っ子もおそらくあと10年立てば、昔の人になるのでしょうが、少なくとも今の子には同じ技術を習得させるのも単一的な指導方法ではなく、あらゆる手法で飽きさせなく、指導をしていかないと行けないのかなと思っています。
したがって、指導者も多くの引き出し、ドリルを知っておく必要があると思います。
また、良い指導者になるには有効的なドリルを効果的に使用し、いかに指導にあたるかということになると思います。
今の子は、集中力がないわけではなく、集中力の発揮の仕方が昔の選手と違うということなのだと思います。
この大学の選手は、私の指導に少し面食らったのではと思います。少しでも気を抜いていたらかなり厳しい口調で「手を緩めるな」「意識をしろ」と叱責しましたので・・・。
初めてあった叔父さんになんでここまで言われるのと思っていたのでは。
しかし、ちょっと意識したことで上手くなったと気づけましたと練習後に選手が言っていましたので、「少しは分かってくれたのかな」と嬉しく思いました。
「意識することが大事だ」ということは誰でもわかっているのですが、実はこれを継続することこそが非常に難しく、伸び悩みの原因に繋がります。
バルセロナ五輪チームの山中監督に「意識」「意識」と口すっぱく言われたことが指導者になっても生きているように思います。
��当たり前のことを当たり前にやる難しさ」に挑戦しろとも言われました。
今も私の財産となっています。
改めて気づきの場を提供くださった選手、監督ありがとうございました。
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