2012年8月6日月曜日

摂津 正

昨晩、ライターである友人と電話で話している際にソフトバンクホークスの摂津投手の話題となりました。
「今でもアマチュア当時と変わらない取材対応をしてくれて、プロ選手に珍しく派手さもない本当に素晴らしい選手ですよ」という評価でした。
その摂津投手は、台湾で行なわれた第35回のワールドカップ日本代表チームが人生の転機であったことは、自身がよく分かっているのではないでしょうか?
この当時、私はヘッドコーチとしてチーム帯同をしていました。山形で開催された代表一次合宿には、摂津投手は選ばれていませんでした。たまたま、練習試合の相手として所属チームの先発として代表チーム相手に投げ、見事に押さえこんだことが代表入りのきっかけとなったことは間違いありません。
山形の合宿を終えて、一次登録の60名を選考しなければならない会議(実際にはホテルの監督の部屋)で、60人目の選手が決まらず、私が「今日投げた摂津を入れましょう」と進言したことを今でも鮮明に覚えています。
あの独特な縦のカーブは外国人が打てないという理由で進言しました。
最終的に、当時の垣野監督(現NTT東日本監督)もその事由に納得を戴き、60名の登録選手から本戦の代表チーム入りへと至りました。
その大会の日本チームの初戦 南アフリカ戦に先発した摂津投手は、初回いきなり無死満塁のピンチから押し出し四球を与えるという今の姿からは想像できないコントロールで最悪の出来でした。これには垣野監督も堪り兼ねて、私に「交代させよう」と相談を持ちかけました。私は「まだ1回です。この大会で摂津が使えるか使えないか、この試合で決するので預けましょう」と答え、垣野監督もぐっと我慢して戴きました。
その期待に応えて、それ以降の打者をきっちりと押さえ込んで摂津投手はベンチへ戻ってきました。実は、今大会攝津投手が取られた得点は、この最初に与えた1点で、その他の登板した試合は全て無失点で切り抜けてきました。
大会当初は、ローテーションの4番目ぐらいの位置づけでありましたが、大会での信頼度は日に日にあがり、最後のメダルを争う3位決定戦 オランダ戦には絶対的なエースとして、7回を見事に無失点で切り抜け、日本に久方ぶりのメダルを与えた原動力となりました。大会でも最優秀選手に選ばれるなど本人の自信に繋がった大会であったことは間違いありません。面白いようにストライクからボールになるカーブで空を切らせました。困ったらカーブ、今でも摂津投手の信条になっているのではないでしょうか?
帰国後に待ち受けていた日本選手権でも疲れもみせず、2連続完封を行なうなどそのマウンド裁きは自信に満ち溢れており、この大会を機転に別人となったといっても過言ではないでしょう。
その後、たまたまソフトバンクホークスのスカウトから「推薦できる選手はいますか」と聞かれ、直ちに「摂津」と推薦しました。私の言葉を信じて下位指名ではありましたが、ドラフト指名したソフトバンクの勇気には敬服しております。
今でも当時の担当スカウトから「ありがとうございました」という言葉を戴きます。
このネタを記載している理由は、私が攝津投手の人生に多いに関わってきたという自慢半話をしているわけではありません。
沢村賞を受賞するような選手でも一人の力でその立場を勝ち得てわけではなく、結局は何かのきっかけを他人から与えられているという事例の紹介をしたかっただけです。
勿論、その機会をものにしていく人こそが人生の勝者になるのでしょう。
その勝利者となった摂津投手が今でもアマチュア時代のように謙虚に振舞ってくれているということを聞き、非常にうれしくなって記載してしまいました。

写真はウィキペディアより。







0 件のコメント:

コメントを投稿